ひと昔前、まだフィルムカメラが主流だったころ。
よく、近所の写真屋さんへおつかいに行った。
フィルムと交換に仕上がるたくさんの写真。
焼き増しするときには、小さなネガに目をこらし、目的の写真を見つけるのが楽しみだった。
そんなセピア色のネガも、今はほとんど目にしなくなった。
いつしかコンデジ、一眼レフ、ミラーレスが主流となり、今ではスマホでさえもカメラの機能を売りにしている。
そんな中、フィルムカメラを持つことはある一部の人にとってはあこがれであり、フィルム写真の魅力は絶えることなく、写真を撮る者だけでなく、見る者さえも魅了する。
「敷居が高い」
と倦厭されがちなフィルムカメラだが、いま、写ルンですが再び注目を浴びているのをご存じだろうか。
時代の逆行。レトロ感がたまらない
写ルンですは1990年代から2000年代にかけて大ヒットしたフィルムカメラである。
コンデジ、一眼レフカメラの台頭とともに徐々に姿を消していったが、2.3年前から、とくに若い女性を中心にブームとなり、インスタグラムの「#写ルンです」は53万件を超えている。
なぜ再びブームとなるのか
一眼レフがなくても、スマホさえあれば簡単にきれいな写真が撮れるこの時代に、フィルターもなく明るさ調整もできない写ルンですがなぜ流行るのか。
それは、写ルンですで写真を撮る、という行為そのものに楽しさと真剣さを感じるからに他ならない。
写ルンですにしかできないこと
スマホやコンデジ、一眼レフカメラの場合、撮った写真を確認して、気に入らなければ何枚でも撮り直しや消去ができる。
しかし、写ルンですは撮ったらもう取り消すことはできない。
1枚撮るごとにフィルムを巻き上げる必要があるため、連写もできない。
しかも、1台で撮れる枚数が決まっている。
つまり、1枚を撮影するのに、真剣にならざるをえない、ということである。
(よっぽどお金持ちで、何台でも写ルンですを買える、という場合は別だが、そういう人はそもそも写ルンですを買わないだろう)
「一写入魂」という考え
一音入魂、一球入魂。
何かに真剣に取り組むとき、そのひとつひとつのことを大切にするための例えである。
写ルンですは、まさに「一写入魂」がふさわしい。
撮り直しのできない緊張感の中、1枚に込めた思いを、現像してやっと目にすることができる。
家に帰るまでが遠足、というのなら、写ルンですの場合、現像するまでが撮影、ということに他ならない。
現像してはじめてわかる愛らしさ
必死にフレーミングをして、構図を決めて、シャッターを押したにもかかわらず、現像した写真を見ると笑いがこみ上げる。
中心ずれ、ピントぼけ、ななめの写真。
けっして上手な写真とは言えない。
しかし、その下手くそ感がどこか愛おしい。
見れば見るほど、懐かしさがこみ上げ、味のあるいい写真に思えてくるのだ。
ほかのカメラでは味わえないノスタルジー
ファッションやサービスの分野においても、レトロ感があるものが好まれるのと同じように、写ルンですもそのノスタルジックな仕上がりに、注目が集まっている。
撮った写真を確認できないまま、仕上がりを待つ不安と期待。
仕上がった写真を見てふとこみ上げるほほ笑みと愛おしさ。
写ルンですの魅力はそこにあるのではないか。
いつもの写真に飽きたら写ルンですを
普段、一眼レフで写真を撮っている身から語弊を覚悟で言わせてもらえば、写ルンですなんて、おもちゃみたいなものだ。
何が撮れているか、そもそもちゃんと撮れているのかも分からない。
そんなカメラに一写入魂する必要があるのか。
答えは「イエス」だ。
真剣になればなるほど、おもしろい。
真剣になればなるほど、現像したときの愛おしさはひとしおである。
写ルンですの魅力は、撮ったものにしかわからない。
さて、ここまで読んで写ルンですを買い求める人がどれだけいるだろうか。
願わくば、想定よりも多いことを。